蟠龍戦記
自分の巡った城・城跡を紹介します。
現存・復元・復興・模擬天守
100名城の紹介も終わり、自分が訪問したお城を紹介していますが、今後どんどんマイナーな城・城跡の紹介に入ると思いますので、お城のシンボル的存在、天守について少しお話します。
といってもウィキペディア(Wikipedia)が詳しいのここを読んで頂ければ早いです。特に
復元天守…極力原型に近い形で再建
復興天守…史実と同じ場所(周辺)に天守が築城されたが形状を変更
模擬天守…史実には築城されてない城
は、今後もよく登場する用語かと思います。まぁ、特に厳密な区分があるわけで無いので、自分も間違って使う場合もあると思います。
といっても、天守があればお城ということではなく、戦国時代の石垣や空堀・土塁などの遺構が残る城跡のほうが自分は好きかもしれません。なかなか友人と一緒に行き辛いですが…
  
五輪書
宮本武蔵著の『五輪書』を読みました。原文は難しそうなので、図解雑学シリーズ(下記)にしました。ご存知の方も多いと思いますが、このシリーズは挿絵も多く分かりやすいです。このシリーズは『孫子の兵法』も読んでいます。
正直『五輪書』がここまで実戦的な本とは知りませんでした。よくあるような精神面を鍛える、といった内容なのかと思っていました。比較として柳生宗矩著『兵法家伝書』が随所に出てきます。こちらは禅の影響を受けているそうです。
トップ経営者オススメ書籍に挙げている方もいたので機会があれば読んでみては?
 

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淡路洲本城
淡路洲本城1 淡路洲本城2
四国からの帰り道に淡路経由で帰った際に立ち寄りました。まったくの予備知識なしで行きましたので、石垣(写真右)の壮大さには驚かされました。
三熊山の山頂に築かれた山城(上の城)は、戦国時代に安宅氏によって築かれ、脇坂安治公によって近世石垣の城に生まれ変わりました。現在、一風変わった模擬天守(写真左)が建っています。昭和第一号の模擬天守だそうです。ここからの景色は、町並みだけでなく海も見渡せ気持ちよかったです。
山の麓の平城(下の城)は、江戸時代に蜂須賀氏によって築かれました。蜂須賀氏の本拠は阿波徳島のため、代々家老の稲田氏によって統治されていました。
山頂・山麓ともに石垣がよく残っていますので、淡路島に行く機会があれば是非立ち寄りましょう。

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阿波白地城
阿波白地城1
長宗我部氏による四国制覇の拠点でもあり、四国防衛の本営でもあったのがここ白地城です。
長宗我部元親公は、土佐統一後、阿波南部に兵を送り、その後ここ白地城の攻略に入ります。というのも北へ讃岐(現国道32号線)、東へ阿波(現国道192号線)、西へ伊予(川之江を経て現国道11号線)、そして南へ本拠土佐岡豊城(現国道32号線)と地理的に見ても非常に重要性を持っていました。豊臣軍率いる四国征伐軍の際も、ここ白地城に元親自ら入り指揮をとりました。
まさに四国平定戦は、白地城に始まり、白地城で終わったというところでしょう。
現在は、「あわの抄」というホテル(旧「かんぽの宿」)が建っており、遺構はほとんど残っていませんでした。

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土佐岡豊城
土佐岡豊城1 土佐岡豊城2
長宗我部氏居城といえばここ岡豊城です。かなり整備されており、各所に説明板があったり、石垣の復元(写真右)もありました。土塁や空堀をめぐらした堅城というより、曲輪を適度に配した平山城といったところです。(もちろん土塁や空堀もあります。)
高知県立歴史民俗資料館が城域にあるのですが、当然長宗我部氏の歴史や一領具足などの紹介がありました。博物館・資料館で滅亡してしまった長宗我部氏を詳しく紹介しているのはおそらくここだけでしょう。
長宗我部氏ファンなら岡豊城とセットで抑えておくべきです。
  

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土佐浦戸城
土佐浦戸城1 土佐浦戸城2
長宗我部氏最後の居城浦戸城は、現在その遺構はほとんど残っていません。城域には、国民宿舎桂浜荘や坂本竜馬記念館が建ち並び、天守台跡に祠があり、そこに説明板がありました。説明板よると、当時五間四方の三層天守が建っていたと思われる、との事です。(明治初期に書かれた書物らしいですが…)
立地的にも高知の名所桂浜にほど近いため、無残な城跡になっていますが、このエリアには、長宗我部氏の遺構が数多くあります。
長宗我部元親初陣の像(写真右:四国を掴もうとしています。)
・若宮八幡宮
・一領具足供養の碑
・長宗我部元親公の墓
長宗我部信親公の墓(雪蹊寺境内)
それぞれ微妙に離れていますので、車や自転車で廻ると良いと思います。マップのあるHPを見つけました。(ココ)一日かけてじっくり廻りたいところです。
ちなみに長宗我部盛親公の墓は、京都蓮光寺にあります。この地に無いのは残念です。
  

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伊予川之江城
伊予川之江城1
川之江城は別名仏殿城とも呼ばれ、現在写真のような立派な三層四階の模擬天守が建っています。他にも涼櫓、櫓門、隅櫓、控塀などがすべて模擬建築されています。
南北朝時代に築城され、戦国時代には立地の良さからなのか、度々攻城戦が行われました。その後一時廃城となりましたが、江戸時代に川之江藩が28600石で立藩します。しかし、わずか6年後には幕領となってしまいました。
そのため、ここまで立派な城は建築されていないでしょう。ただ、小高い山に建築されているので、麓から見てもひょっこり天守が顔を出し見た目も良いですし、天守からの眺めも良さそうです。(自分は見学時間が遅く閉館してました。)
立派な天守は、川之江市制施行30周年記念事業として建築されたそうですが、現在は四国中央市になっています。

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四国上陸
自分は四国に上陸したことは、1回しかありません。四国には、現存天守12城のうち4城(丸亀城・松山城・宇和島城・高知城)があり、この城を目的に行ってきました。幸い四国内にある100名城(徳島城・高松城・今治城・湯築城・大洲城)もこの1回で見学できました。当時はまだ、100名城は選定されていませんでしたので、私の城眼(なんじゃそれ?)がよかったのでしょうか。
戦国シュミレーションゲーム(『信長の野望 全国版』から)をプレイする際は、必ず長宗我部元親公で天下統一を狙うので、四国には思い入れがありました。もちろん長宗我部氏居城の岡豊城にも行きました。
四国上陸した際、まだ紹介していない4城(+1城:淡路島)を紹介します。
 
かの司馬遼太郎先生も長宗我部氏の小説を描かれています。
夏草の賦は、長宗我部元親
戦雲の雲は、その息子長宗我部盛親
が主人公です。長編小説ではないので一気に読めると思います。
秀吉神話をくつがえす
タイトル通り豊臣秀吉公の創作と思わしき部分を暴き、真実のみで構成していくのかと思ったですが、そうではありませんでした。三分の一程度は『本能寺の変』についてでした。もともと著書の藤田達生氏は、『義昭黒幕説』(この本を読めば、黒幕説よりもむしろ『義昭推戴説』かなぁ。)を執っていますので、史料等を含め持論を展開されています。そのため秀吉の話より、信長・光秀の話が中心になってきます。
最近読んだ『本能寺の変』絡みの本は、『光秀単独説』が中心だったので、ちょっと新鮮でした。(昔に同著による鞆幕府等が詳しい『義昭黒幕説』を読んだ事もありましたが…タイトルは忘れました…)
ただこの説を執る場合、最大の矛盾は、『なぜ光秀は、もっと前面に将軍足利義昭公の名を出さなかったのか。』ということでしょう。井沢元彦氏も言われているように、細川藤孝公への懇願・哀願とも取れるべき手紙に、将軍義昭の名前がないのは確かに解せません。手紙自体が偽物なら衝撃ですが…(参考
後半は、秀吉による豊臣平和令ともいうべき惣無事令が本当にあったのかどうか、ってことでしたが、手っ取り早く国内戦を終わらせ、大陸出兵のための建前と言うのはよく分かります。
自分が思ったのは、信長も同じく
『惣無事令を使って天下統一するのか』(島津氏には発令してる?)
それとも
『完全武力討伐のみで天下統一するのか』(上杉氏・毛利氏はその気でいた?)
ってところも気になります。
 

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遠江諏訪原城
遠江諏訪原城1
有料バイパス(今は無料です。)を使わずに国道1号線をのんびり走っていたら、『諏訪原城』の看板が見えたので急遽立ち寄りました。するとどうでしょう。空堀や土塁などが至る所に残っています。小山城と同じく、武田氏の縄張りなので、三日月堀も確認できます。所々場所の説明もされており、整備も行き届いています。
一つ残念なことは、あまりに木々が多く、写真撮影するのが困難です。逆に考えれば、そのおかげで遺構も破壊されずに残っているのかもしれません。
ほんの軽い気持ちで立ち寄っただけでしたが、本当にラッキーでした。正直必見です。

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遠江小山城
遠江小山城1
小山城は、現在は能満寺山公園として整備されており、犬山城を模した鉄筋コンクリート造三層五階の模擬天守が建っています。武田氏の縄張りの特徴とも云うべき、三日月堀がよく残っています。
もともと高天神城攻略の際に築城されたお城で、徳川氏が完全に遠江を支配する頃には、廃城となりました。よって江戸時代、特に藩が設けられた訳でも無いので、このような天守が築城された歴史はありません。ただ、模擬天守の上から見ると堀の三日月ぶりがよく分かりますし、景色も良いのでぜひ登城しましょう。

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上野前橋城
上野前橋城1
前橋城はもともと厩橋城と呼ばれており、信長最大版図はここまで及んでいました。
現在は、先に紹介した高崎城と同じく、市街地に埋没してしています。写真のような高さのある土塁が県庁(写真奥の赤っぽい建物)前に少し残っています。少し歩きますが、車橋門跡と書かれた背の低い石垣が残っています。
江戸時代、利根川の氾濫等で、一時は廃城となり破却されましたが、幕末に再建されました。しかし、明治に入り再び廃城。時代と共に街が都市化され、現在にような少ない遺構しか残っていないようです。

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上野高崎城
上野高崎城1
高崎城は、乾櫓と東門が現存しています。といっても、明治初期に農家に払い下げられていまいしたが、昭和に入ってから移築復元されました。石垣や塀は、外観を良くするために作られた模擬との事です。
写真のように2つならんでいますが、その廻りはすっかり市街地と化しています。土塁と水堀も少し残っています。
江戸時代は、御三階櫓が天守の役割を果たしていたそうですが、明治初期に取り壊されました。復元資料も残っているそうですが、仮に復元しても街の中に埋没してしまうでしょう。城を中心とした街づくりではなく、街の中に申し訳なさそうに櫓と門がある感じでした。(下手したら再び民間に払い下げられるかも…)

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上野沼田城
上野沼田城1
戦国時代、上杉氏・北条氏・武田氏と三氏による争奪戦が行われたお城です。立地的に見ても、南北に国道17号線が走っており、北上すれば三国峠その先が越後、南下すれば武蔵・相模に入り、西進すれば信濃に入ります。交通の要所ともなれば、激戦地にもなるでしょう。
現在は沼田公園となっており、近代的な公園となっており遺構は少ないです。その中でも写真のような石垣や復元された太鼓櫓が往時を忍ばせます。
慶長年間に五層の天守が築城されたそうですが、高々27000石の真田信之公(真田昌幸公は上田城が居城。38000石。豊臣政権下は真田家が二家存続していました。)が、五層もある立派な城を築くとは思えません。ただ、江戸時代に書かれた沼田城絵図には天守が描かれています。ひょとしたら、信之が城を整備し、松代に移ってから、完成したのかもしれませんネ。ただ、関東でしかも外様大名が、よくも五層の天守を築けたものです。だからこそ改易になったのかもしれませんが…

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上野名胡桃城
上野名胡桃城1
豊臣秀吉公による小田原征伐のきっかけを作ってしまったことで有名になったのがここ名胡桃(なぐるみ)城です。
城跡はよく整備されており、本丸・二の丸・三の丸などの曲輪、空堀、土塁、土橋(写真)、虎口などを見ることができます。城の規模もさほど大きくありません。何より山城ではないので見学が楽です。
見学に来ると確かにこのような小城をいかなる理由で攻撃したのかは謎です。(沼田城には実に近いですが…)手柄が欲しかったのか、北条氏の命令か、秀吉の謀略か、真田昌幸公が挑発したのか(その割には家臣が死んでいますが…)、ただこれを理由に北条氏が征伐されたのは事実です。
注意:国道17号沿いにあるのですが、当時は看板等が見つけにくく、何度も往復してようやく見つけた記憶があります。沼田から国道17号を北上して行くと右手になります。気をつけて運転しつつ探しましょう。
 

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手紙から読み解く戦国武将意外な真実
戦国時代の著名な武将たちの生き様を手紙の文面から推測していく書籍です。掲載されいる手紙は、よく見かける文面からあまり見ないような文面まで多くが掲載されています。全部で16章に分かれており、どの章からでも読めるようになっているので、興味のある武将から読むことも出来ます。
当時、手紙は祐筆が書くことが多いので、その手紙が本人の意思によって、当時本当に書かれたものかどうか分からない、というのは納得しました。
細川幽斎公の章で、本能寺の変から数日して明智光秀公から幽斎宛てに書かれた出馬を懇願している手紙(結構有名です。『隠居して忠興に譲りますとか…』と書かれている手紙)も掲載されているのですが、その出典(『綿考輯録』「細川家記」)や花押・内容から細川家(強いては細川幽斎本人)が捏造した可能性があると出ていました。要は変を事前に知っていた可能性があるということです。確かに、変を聞いてすぐ剃髪したのか、山崎の戦いが終わって剃髪したのか、確認は取れませんからネ。変を事前に知っていたかは別として、光秀と秀吉を天秤にかけていたことはありえそうです。
 

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尾張小牧山城
尾張小牧山城1
織田信長公が美濃攻略戦の際に居城とした時、徳川家康公が羽柴秀吉公と争った(小牧長久手の戦い)際に陣を陣を敷いた時、と二度歴史の大舞台に登場したのがこの小牧山城です。
現在は山頂に、聚楽第の飛雲閣(京都西本願寺に残り国宝…一般公開もされていません。)を模した模擬天守が建っています。小牧山城と関連もなく、完全なる鉄筋コンクリートでやや興ざめです。撮影も夏場だと緑が生い繁っているので撮影しにくいです。ただ麓から見上げると、小高い山から天守だけ顔を出すので、見応えはあります。

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美濃郡上八幡城
美濃郡上八幡城1
郡上八幡城は模擬天守です。明治維新後、他と同様に廃城となり建築物は取り壊しになりましたが、1933年(昭和8年)に木造にて大垣城を参考(当時、大垣城は健在、1945年(昭和20年)戦災で焼失。)にして四層五階で築城されました。
昭和初期に木造にて建築(木造再建築としては日本最古との事)したとあって、違う意味で歴史があります。 内部も数階は吹き抜けとなっており階段も少し急でした。また、石垣は野面積みでよく残っています。山城であり、城の高さもあるもあるので、天守からの眺めもいいです。
城下町も風情があり、お城とセット散策すると楽しいと思います。

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越前勝山城
越前勝山城1 越前勝山城2
越前勝山城は現在、石碑(写真左)のみが残っています。
信長政権時に、勝山城が築城され、江戸時代には越前勝山藩が成立し、以後明治維新まで小笠原氏8代がこの地を治めました。明治初期、当然のごとく廃城となるのですが、天守台や石垣の遺構が昭和40年まで残っていたそうです。しかし、市民会館建設のために残念無念取り壊されました。他にもっと良い立地はなかったのでしょうか?悔やまれます。
平成4年に上記の勝山城とはまったく無縁の、五層六階の日本一の高さ(57.8m)を誇る模擬天守の勝山城博物館(写真右)が近くに建てられました。威風堂々とした模擬天守です。模擬らしく石垣には、龍が9匹描かれています。
もし、市民会館建設がもう少し遅く、勝山城博物館建設がもう少し早ければ、勝山城復元という選択肢もあったのかも知れませんネ。

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越前大野城
越前大野城1
越前大野城の天守は復興天守です。信長政権時に金森長近公によって築城されたので、石垣も戦国らしい野面積みです。当時は二層三階の大天守、二層二階の小天守、天狗櫓が山頂に築かれ、麓に二の丸・三の丸を配置しておりました。江戸時代に大火で焼失、その後天守は再建されなかったそうです。昭和43年に復興された際、写真や設計資料も無いためか、岐阜城(復興)などを参考にしたので復興天守と呼ばれています。麓から見上げると、古風な天守が顔を出すので城に守られている感じがします。
この越前大野を城下町として整備し始めたのは、金森長近公でありその像が建っています。ちなみに飛騨高山城にも同じく金森長近公の像が建っています。(高山城の方が馬上姿でかっこいいのですが…)内政面に長けていたようで、『信長の野望シリーズ』でも地味に60台政治力をキープしていますネ。

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信濃高島城
信濃高島城1
諏訪高島城はかつて『諏訪の浮き城』と呼ばれており、諏訪湖の湖岸に面したお城でした。写真のように堀はめぐらされているので、当時を想像するしかありません。天守他の建築物も明治時代に解体されてしまいましたが、古写真をもとに昭和45年に復元されました。なんとなく古風な感じますネ。三層天守なんですが、見た目以上に大きく感じました。
戦国時代の高島城は茶臼山にあったらしく、大河ドラマ『風林火山』で山本勘助公と由布姫が出会うのはこちらの山城です。その後、豊臣政権時に日根野氏によって、現在の位置に築城されました。さらにその後の江戸時代、諏訪領を明治維新まで治めたのは、武田信玄公に土地を追われた諏訪氏でした。諏訪惣領家の従兄弟の家系ですが、武田家の旧臣の多い徳川家が考慮したのでしょう。
   

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備後三原城
備後三原城1 備後三原城2
三原城は残念なことに、JR三原駅によって本丸部分が貫かれており、寸断されています。そのため本丸の天守台(写真左)に登るには駅構内から行くしかありません。そういう意味ではもっとも駅に近いお城と言えます。また、周辺の石垣が多く残っているのですが、見学するためには駅前を散策することになります。
写真では分かりにくいかもしれませんが、天守台の面積はすごく広いです。実際天守は建築されずに櫓が三基建築されていたそうです。
小早川隆景公が水軍のための海城として建築しただけあって、当時はこの辺りまで海に面しており、船入櫓〔(写真右)建築物はなく石垣のみ〕跡が残っています。現在は、市街地に完全に埋没しておりますが、在りしの日の古写真を見つけましたので、興味のある方はどうぞ。コチラ
  

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周防山口城
周防山口城1
山口城は山口藩庁とも呼ばれており、幕末に毛利敬親公によって築かれました。山口といえば、大内氏が有名ですが、当時山口城とは呼ばず、大内氏館と呼ばれており、ここより少し離れています。
もともと毛利氏は、関ヶ原の戦い敗戦後、ここ山口に城下町の建設計画もあったようですが、幕府より許可がおりませんでした。周防長門二ヶ国を治め、かつ交通の便を考えてもこちらの方が治めやすかったのでしょう。(幕末に建築した際は許可がおりたのでしょうか?)
現在も山口県庁と同じ敷地内に表門(写真:隠れてますが…)と堀の一部が残っております。城というより御殿風の建物だったようで、石垣等の防衛設備はありません。長州征伐の際に万一、籠城にでもなったらひとたまりもないでしょう。
山口県庁周辺は、旧県庁舎・県会議事堂などが無料で見学もでき、また駐車場も無料でした。(今はどうかな。)国宝五重塔の瑠璃光寺も近く観光には最適です。
  

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播磨鶏籠山城
播磨鶏籠山城1
先日紹介しました、龍野城の背後にそびえる鶏籠山の山頂にあるお城です。おそらく、もともとこの城を龍野城と呼んでおり、その後江戸時代、山麓に御殿風のお城が出来たので、区別する為に鶏籠山城または龍野古城と呼んでいるのだと思います。
登城口は、その龍野城にあります。中世の山城らしく土塁・石垣・曲輪が残っており、『本丸跡』などの案内掲示もされており、整備もされているようです。
八幡宮とあったので神社かなにかの跡地かもしれませんが、石だたみ・古城石段あとが良好に残っていました。かなり遺構が残っているので、山麓の御殿だけでなく、こちらにも是非立ち寄りましょう。
山麓の龍野城と城下町、そして山頂の鶏籠山城、じっくり時間を取ることをオススメします。

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播磨龍野城
播磨龍野城1
龍野城は、室町時代に赤松氏によって鶏龍山山頂に築かれた山城と、江戸時代に脇坂氏によって山麓部に築かれた御殿城郭とに分けることができます。
写真は、山麓部の模擬隅櫓(この角度の写真はよく見ますが模擬だったんですネ。)、背後の山が鶏龍山です。敷地内に御殿が復元されており、大手門が埋門となっているのが見所です。
お城以外にも城下町として散策するところも多く、歴史文化資料館、うすくち龍野醤油資料館、武家屋敷資料館などがあり楽しめます。

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検証本能寺の変
『本能寺の変』関係の書籍をよく読みますが、他と同じように、数ある謀略説をひとつひとつ資料に基づき、反論されていきます。中盤以降は、光秀のその動機についても、くどいほどにひとつひとつ解説されていきます。
ひとつ気になったのは、光秀の年齢です。一般的に55歳(1528年生)で亡くなったことになっていますが、著者は67歳説(1516年生)をとっています。いくつかの資料を挙げられていますが、この説だと光秀の子光慶は54歳の時の子(まぁ不思議ではないですね。)旧知の仲ともいうべき、細川藤孝公(1534年生)とも20歳近く離れていることにもなります。同じく、主君の織田信長公(1534年生)とも同じく20歳近く離れていることになるのですが、そんな老人相手に一度でも足蹴にしたとなると大人気無い主君です。
まぁ、謀反人とはいえ、光秀の青年期があまりにも不明な点が多すぎることが、真実を見えにくくしていますね。
 

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『天地人』配役決定
来年、2009年のNHK大河ドラマ『天地人』の配役が数名決まったようです。(ネットで見つけました⇒ココ)下記のとおり。

直江兼続=妻夫木聡       上杉謙信=阿部寛
上杉景勝=北村一輝          お船=常盤貴子
   初音=長澤まさみ   樋口惣右衛門=高嶋政伸
   お藤=田中美佐子      樋口与七=小泉孝太郎
泉沢久秀=東幹久         上杉景虎=玉山鉄二
   華姫=相武紗季          菊姫=比嘉愛未
  仙桃院=高島礼子

ちなみに、 お船は兼続の妻、初音の真田昌幸公の娘、樋口惣右衛門は兼続の父、お藤は兼続の母、樋口与七は弟です。
一応、来年のの大河ドラマが『天地人』と決まった時点で小説を読みましたが、泉沢久秀公がこの時点で発表されるほど重要人物だったか思い出せません。まぁ、大河なんで、原作を少々離れるとは思いますが…。真田幸村公・前田利益(慶次郎)公・石田三成公・伊達政宗公、徳川家康公など、小説ではさほど絡んでない人物も大きく取り上げられると思うので、その配役も気になるところです。
あっ、ちなみに今年の『篤姫』はまったく見ていませんのでこのブログでも記事にはなりません。
 
まだ、文庫本は出版されていないんですね。

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100名城の紹介とその後
陸奥根城を持ちまして、自分が訪問したことのある100名城のうち、写真を撮った93名城を紹介しました。春に訪問した、丹波・美作国も含めると100名城超えておりますが、自分が訪問したお城はこれ以上にあります。今後は、自分が訪問した先の古い順から紹介していきます。
あと、定期的に自分が読んだ歴史本も紹介していきます。今後ともよろしくお願いします。
陸奥根城
陸奥根城1
根城は南北朝時代に南部氏によって築かれました。お城というより館と呼ぶほうがふさわしい気がします。空堀や土塁・曲輪の遺構を確認することができ、主殿(写真中央・屋根のみ見えている)や納屋・工房・鍛冶工房・馬屋(なんと馬までも再現!)などの建築物が復元されおり、往時を忍ばせます。また、東北地方ならではの納屋が半分以上が土に埋まっているのを見て、生活の知恵を知りました。
再現建築物が多いうえ、趣向を凝らしたものも多く非常に楽しめました。
 

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陸奥多賀城
陸奥多賀城1
多賀城は、戦国時代のお城ではなく、いまだ大和朝廷と呼ばれていた時代、陸奥国府の政庁が置かれた場所です。政庁といっても防御施設は備えられており、城柵と呼ばれたりもしています。
現在、正殿跡や石段、石敷通路、築地塀などが復元されています。イメージ的には、九州の大宰府政庁跡と同じような感じがします。東北地方には、この城柵タイプの城がいくつか残っているのですが、逆に東北地方でしか見ることが出来ないとも言えます。
そういえば、ボランティアの方に親切な説明を頂きました。こういうのって旅の良い思い出になりますね。

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