蟠龍戦記
自分の巡った城・城跡を紹介します。
関ケ原―誰が大合戦を仕掛けたか
関ケ原合戦を仕掛けたのは、 

         エリザベス女王だった!!  

は某テレビ番組で紹介されてましたが…それはさておき
関ヶ原合戦関係の本はよく出版されています。この本もその一冊です。合戦そのものではなく、合戦にまで至る過程を武将ごと追いかけています。紙面の関係でしょうか、取り扱いの武将もさほど多くなく、また武将についてもあまり深追いしていません。ただ気になったのは、著者は、どうも
徳川家康 > 石田三成
の考えが強いようで、三成では家康に勝てるわけがないという論調で書かれいるような気がしました。政治政策にしても
徳川家康 > 豊臣秀吉
で展開しています。『平和な江戸時代の基礎を築いた。』といったところです。
一気に読めてしまいますので、手頃な一冊ですが、秀吉・三成ファンは控えたほうが良さそうです。肝心の関ケ原合戦を仕掛けた武将は、読んでのお楽しみ!ということで…
 

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丹波岩尾城
丹波岩尾城1
岩尾城は、歴史的に八上城や黒井城ほど有名ではありませんが、城跡としては遺構もよく残っており山城ファンには必見です。
山南町立和田小学校から登城しますので、いろんな意味で気を使いました。登城はきついですが、30分ほどすると、石垣が見え始め山頂の辺りは写真のような感じです。頂上からの見晴らしも最高です。
明智光秀公によって攻められ落城した際は石垣造りではなく、その後改修されたされた際に石垣が築かれました。よって、中世城郭と近世城郭が混在した城になっています。

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丹波黒井城
丹波黒井城1 丹波黒井城2
『丹波の赤鬼』こと赤井直正公の居城です。国道176号沿いから頂上が妙に平坦な山(石垣部分)見え始め、『おいおい、あの山を登城するんじゃないだろうなぁ。』と思っていたら案の定その山でした。正直、登城道はきつかったです。
頂上に着く頃には、石垣見え始め、景色も最高です。季節が冬ということもあってか、草木がない状態だった為、石垣の遺構がよく残っているのがわかります。おそらく、この石垣は赤井氏時代のものではなく、その後、この地を統治した明智光秀公家臣、斉藤利三公以降の時代のもと思われます。
ちなみに、麓にある興禅寺(写真右)は、黒井城の下館跡であり、お寺にしては見事な石垣と堀が当時の往時を偲ばせています。斉藤利三公がこの地を統治していた頃に、子である春日局が、生まれ育ったそうです。江戸時代、大奥を取仕切ることになるお福こと春日局が、実は、丹波生まれというのもなかなか感慨深いですネ。
  

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丹波柏原陣屋
丹波柏原陣屋1
柏原陣屋はもともと、『信長の野望』でおなじみの信長の弟、織田信包公(地味な能力値ですが、一門衆なので何かと恩恵を受けています)の子孫が治めていました。無嗣断絶による改易後、一時天領になりますが、今度は、信長の子、織田信雄公の子孫が入封し、明治まで存続します。織田家とゆかりのあるこの地ですが、表御殿(一部分)と長屋門が残っています。
国道176号に近く、周辺の山城と違い楽に見学ができます。

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丹波金山城
丹波金山城1
世に金山城と名の付く城はいくつかあります。関東にはめずらしい石垣の上野金山城、森蘭丸公の故郷・美濃金山城は有名です。ここ丹波にも、戦略的に重要な金山城がありました。波多野氏の居城八上城と赤井氏の黒井城との連携を経つために明智光秀公によって築かれました。
30分ほどで山頂の本丸に到着します。少しですが、石垣も確認することができます。本丸より、さきほどの八上城・黒井城が見えるそうです。(自分はどの山なのか検討が付きませんでした…)地元でも有名なハイキングコースのようで、登城中の案内板もあり、『鬼の架け橋』と呼ばれる巨石の橋が本丸近くにあります。

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丹波沢田城
丹波沢田城1
篠山城の近く、小林寺の裏山が城跡になります。写真のように竹やぶに覆われています。山城に分類されるとは思いますが、容易に登ることは可能です。
八上城の支城のような役割を果たしていたのでしょう。規模は小さいです。
立派な石碑があるので、お城に来た感はあるので良いと思います。(場合によって、石碑や説明板のないところは多々ありますから…)
近くに来て時間があれば、立ち寄ってみても良いでしょう。

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丹波八上城
丹波八上城1
丹波八上城といえば、波多野氏の居城として有名です。国道372号に『八上』とつく交差点が何ヶ所かあり、通る度にどの山だろうと思ってたのですが、ようやく訪問できました。ちなみに場所は、372号沿いより1本南に入った細い道路沿いにある春日神社より登城できます。地図
麓の主膳屋敷よりいくつかの郭を経て登城していきます。右衛門丸跡や本丸跡には、部分的ですが、石垣も確認できます。中世の山城としての遺構がよく確認できますし、また整備もされており、登城は30分ほど掛かりましたが、苦にはなりませんでした。
歴史的にも見ても著名ですし、城好きの人は一見の価値ありと思います。

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丹波籾井城
丹波籾井城1
丹波の青鬼』こと籾井教業公の居城です。『信長の野望』においても異名通り、武勇・統率共に高い猛将です。(実在が疑わしいようですが…)明智光秀公の軍を何度も撃退しただけのことはある山城です。石碑にあるような公園と呼ぶには程遠いですが、10分ほどで登城できます。写真のように木々が多いため見晴らしは良くないです。
場所がわかりにくいのですが、国道372号沿い篠山市入ってすぐ福住小学校の北、禅昌寺の近くに登城口があります。丹波八上城より東方10km弱といったとこでしょうか。波多野氏攻略のためには、まず攻略されるべき対象の城といえる城でしょう。

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丹波八木城
丹波八木城1

八木城は、隣国の但馬にもあり、同じような山城です。違いは、京都府か兵庫県かです。事前にネットで情報調べる際、混同してしまいました…
頂上部の本丸あたりは、形のよい曲輪が確認することができ、ほんのわずかですが、石垣の存在も確認することができます。自分は、石垣を見るとお城の来たなぁと感じますネ。山頂からの見晴らしも良いです。
山の麓には、内藤ジョアン(如安)公の顕彰碑があります。そこで始めて知ったのですが、高山右近公と同じく、マニラに追放されましたが、その後10年以上もその地で生き生涯を閉じられたことを知りました。

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丹波美作攻略
丹波美作攻略の一人旅より今、帰還いたしました。2日目大雨、3日目小雨で当初の行く順序の予定が狂ってしまいましたが、メインどころは押さえたと思います。
また、明日より、随時お城を紹介していきます。100名城から紹介しようと思っていましたが、記憶の新しい方が良いので、今回の旅で見学したお城を先に紹介します。
ちなみ城攻めの行程は、
1日目
丹波八木城 − 丹波籾井城 − 丹波八上城 − 丹波沢田城 − 丹波金山城 − 柏原陣屋 − 丹波黒井城 − 丹波岩尾城
2日目
播磨西脇城 − 播磨山崎城 − 三日月陣屋 − 美作林野城 − 美作三星城 − 美作茶臼山城
3日目
美作医王山城 − 美作津山城 − 美作院庄館 − 鶴田陣屋 − 美作岩屋城 − 美作高田城
4日目
播磨長谷高山城 − 美作竹山城 − 播磨波賀城 − 播磨長水城 − 播磨篠の丸城 − 播磨置塩城
一人旅
明日から4日間まとまった休日が取れたので、一人旅に行ってきま〜す。もちろん城めぐりです。
美作津山城には行ったことはあるのですが、備中櫓完成後は行ってません。ここがメインです。あとは、丹波八上城・黒井城が有名どころでしょうか。
ブログ開設以来、毎日更新してきましたが、この期間だけお休みになります。
無事に帰還できますように。
備後福山城
備後福山城1
福山城は、新幹線駅から城が見えることでも有名です。逆にそれだけ駅や線路と城が近いということは、城の遺構がかなり破壊されていることにはなります。近世城郭なので、お堀はもちろん存在していたのですが、埋め立てられています。伏見櫓や筋鉄御門が現存しており、写真の天守は復元になるのですが、少し外観が変更されいるそうです。 詳しくは⇒備後歴史探訪倶楽部特別版「福山城」
天守も昭和初期まで現存していたのですが、太平洋戦争時の空襲にて焼失してしまいました。この頃も公園として整備されていたようですので、もし天守が現存していれば、文化的遺産ということで、もう少し遺構として堀や石垣等も保存されていたかも分かりません。

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吉田郡山城
吉田郡山城1
吉田郡山城といえばご存知、毛利氏歴代の居城です。自分は、2回訪問したことがあり、1回目は学生時代でした。その際、広島駅から電車とバスを乗り継いで到着し、『ずいぶん遠くまで来たなぁ』と思いました。数年後、車で来た際は、周辺の諸城も合わせて見学したのですが、一国人の城レベルというのが実感できました。というのも、まさに中世山城といった感じです。この城で、大軍の尼子氏を退けたりしているのですからすごいですね。
そういう意味でも、一地方の国人領主から中国地方の覇者として、北九州地方や播磨国辺りまで、侵攻した毛利元就公の偉大さを実感しました。
  

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周防岩国城
周防岩国城1
岩国城と錦帯橋はやはりセットでしょう。写真のように麓の錦帯橋から城が見えると本当に絵になりますね。でも天守は、実際江戸時代に築いた場所よりずらして建築されました。麓から天守がみえるように…
天守は吉川広家公によって築かれたのですが、わずか7年後に一国一城令のため取り壊されました。錦帯橋は江戸初期に建設しているので、実際に岩国城天守と錦帯橋を平行して見ることが出来るのは、昭和になってからということになります。なんだか不思議な感じですね。
  

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讃岐高松城
讃岐高松城1
高松城は、当時は海に面した海城でした。現在も港が近いです。月見(着見)櫓(写真)、艮(うしとら)櫓、水手御門、渡櫓、続櫓、が現存しています。天守は、明治期に老朽化のため取り壊されたそうですが、再建を目指して取り組んでいるそうです。古写真を見たのですが、小倉城のような南蛮造りですので、是非拝見したいものです。
近くに栗林公園があります。城とは関係ないですが、日本三名園(兼六園・後楽園・偕楽園)以上の大名庭園です。時間あれば、立ち寄ってみましょう。

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伊予大洲城
伊予大洲城1
現在の大洲城は、木造にて天守が再建されています。自分が訪問した時は、ちょうど工事中でした。四基の櫓は現存しており、写真はそのうちの高欄櫓(多分…) です。
もともと、明治期に地元の有志によって、天守の買収・保全を試みたそうですが、資金足らずで断念、その後解体されてしまいました。しかし、資料や写真などが残っており、限りなく当時に近い形で、復元しています。戦後、復元木造天守としては、日本一高い19.15m。建築基準の枠を超えているとの事で、そこは大洲市民の方の熱意と努力によるものだそうです。市民に愛されている城といえるでしょう。おそらく、江戸時代の藩政も良かったのでしょう。
自分としては、もっとも再訪したい城のひとつです。

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伊予今治城
伊予今治城1
今治城もまた、藤堂高虎公によって築城されました。天守や四基の櫓・門はすべて昭和に再建されています。天守ですが、もともと高虎によって築かれたのですが、丹波亀山城に移築したとの事。『わざわざそんな手間をかけるのかな』と、当時は思っていましたが、ある本を読んだ時、『一から築くより、時間や手間はかからない。』とあり『なるほど!』と思いました。豊臣政権存続中でもあったし、高虎ならやるなと思いました。
移築後、天守は築かれませんでした。昭和に再建される際、先の伝承より丹波亀山城の古写真をもとにしたそうですが、なぜか写真にない破風を設けたそうです。現在では、破風のない城は逆に珍しいのですが…まぁ、見た目かっこいいから良いですね。あと、写真のように犬走りの幅が太いのも特徴のひとつです。
堀は海水から引いており、海城に分類されているのですが、自分が、城の回りを歩いていた時、蟹も歩いていました。つくづく海が近いことを痛感しました。
  
右の『虎の城』は藤堂高虎公の小説です。。2009年NHK大河ドラマ『天地人』の作者:火坂 雅志によるものです。結構面白いかったです。

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伊予宇和島城
伊予宇和島城1
宇和島城は、近世城郭の平山城です。小高い山を登ると壮大な石垣が見えてきて、現存天守が見えてきます。残念ですが、天守と搦め手の門のみが現存しているだけです。復元櫓等もありません。ですが、逆にそれが、素朴で優美な天守が際立って見えます。この城も築城の名手、藤堂高虎公によって築かれています。
城内は、小規模なので、資料等の展示はほとんどありません。近くの宇和島市立伊達博物館に充実した資料がありますので、立ち寄って見ましょう。

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伊予湯築城
伊予湯築城1
湯築城は、中世城郭の平山城です。写真はその山から麓を撮影した写真です。堀や土塁が山から見てもよくわかると思います。また、武家屋敷等も復元され(もちろん堀や土塁も一部復元しています)、当時の状況がイメージしやすくなっています。「人の手が入る過ぎている。」と考えることも出来ますが、こういう城もあって良いかと思います。
伊予松山城に行った際は、近くなので立ち寄りましょう。
伊予湯築城…戦国時代の河野氏 中世城郭
伊予松山城…江戸初期の加藤氏 近世城郭
城造りの違いがわかり面白いと思います。
 

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信長は本当に天才だったのか
ずばり、本のタイトル通り、皆さんはどうのようにお考えでしょうか?三英傑の人気は、戦前は秀吉がもてはやされ、昭和期は家康、そして今は信長が人気を得ています。それも『天才』『革命児』といった内容がほとんどで、著名な歴史家や小説家も信長を評価しています。この本は、その最近の信長評において、異を唱る形で書かれています。1つ1つ信長の天才的な履歴を否定しているような内容になっている所が残念ではありますが、的を射てるところもあると思います。
ここからは自分の考えですが、例えば、楽市楽座(六角定頼公)、槍を長くする(斉藤道三公)、鉄砲の有効活用(雑賀根来寺衆)、土地の名前を変える<稲葉山⇒岐阜>(蓮如<難波⇒大坂>)など、信長よりも他人が先に実施したことが以外に多いことです。先駆者は確かに天才ですが、2番手は天才ではありません。ただ彼がすごいところは、それを組織的に、独断的に実施したことでしょう。自分が正しいと思い込み、それに対して突き進んだことによって、得られた結果こそが、天下統一の直前まで進めたのではないでしょうか?そして独断的なところが強くなりすぎてしまい、本能寺の謀叛へとつながっていった…自分はそのように考えますが、皆さんはいかがでしょうか?

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筑前大野城
筑前大野城1 筑前大野城2
大野城は古代の朝鮮式山城です。その中でも写真の石塁の一部、百間石垣は有名です。古代でありながら、これほどの石垣が築けたことが驚きです。あと、礎石や土塁らしきものがありますが、わかりずらいです。四王寺山全体が、砦のようなものなので結構歩きました。
もともと、白村江の戦いで敗れた際、大宰府防衛のために築かれました。近くに、高橋紹運公最後の地、岩屋城もあります。右の写真は岩屋城から撮影した大宰府政庁跡の写真です。大宰府が近いことがよくわかります。

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肥前佐賀城
肥前佐賀城1
戦国時代、竜造寺氏の居城の村中城を、鍋島氏によって改修・拡張が行われたのが、この佐賀城(古名は佐嘉城)です。写真の威風堂々とした鯱の門は、現存ですが、江戸末期の天保年間に再建されたもので、幕末に活躍する鍋島直正(閑叟)公によって築かれました。
平成16年に本丸御殿が木造で忠実に再建されました。鯱の門と一緒に本丸御殿も再建した時の資料が、残っていたとの事です。この本丸御殿が資料館(佐賀城本丸歴史館)になっているのですが、非常に充実しています。あまりの充実ぶりに時間を忘れてしまいます。実際自分は、筑後柳川城に行く予定が狂いました。しかも無料です。(駐車場も無料です。)佐賀県って観光客にやさしい町ですネ。ぜひまた行きたいです。
  

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肥前平戸城
肥前平戸城1
素人が平戸城を見上げて撮った写真です。残念ながら、港(?)の一部が写っています。(無念…)この写真を選んだ理由は、城の全体図が判ると思い選びました。規模は大きくないのですが、模擬天守(実際、天守は築かれなかった)・現存櫓・現存門・復元櫓と設置され、城としての威容を見て取る事が出来ます。小高い山に築かれているので、天守からの眺めも良いです。
少し離れていますが、松浦史料博物館があります。ここは一時期、平戸藩の藩庁が置かれた場所でもあり、松浦氏の伝来の家宝・南蛮物が多数あり見所があります。

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肥後人吉城
肥後人吉城1
人吉城の特長ともいえるのが、写真にある「刎出」または「武者返し」とも呼ばれる独特の石垣です。石垣の一番上に平らな石を乗せたもので、登ってくる敵を防ぐ為のものです。これは、幕末になってから設置された石だそうで、西洋の技術とのことです。まぁ、無いよりは良さそうです。なぜ、江戸時代には、誰も考え付かなかったのでしょう。ひらめきとは、こういうことかもしれませんネ。
少し離れた場所に、復元櫓や長塀もあります。球磨川を、天然の堀とし、船着場を設け水運を利用したりと特徴のあるお城の一つです。

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豊後府内城
豊後府内城1
豊後といえば、大友氏が有名ですが、この府内城は大友氏の築城ではなく、大友氏改易後、福原直高公によって築かれました。大友氏は近くの上原館に居館を構えており、府内城の辺りは、舟の荷揚げ場だったらしいです。
府内城には6基の櫓がありますが、そのうち2基が現存しており、2基が復元、2基が模擬復興です。写真は、どの櫓なのか忘れました。(地図と見比べると現存の人質櫓と思うのですが…)写真右の右に天守台跡が見えます。近くに県庁・市役所、城内に文化会館が建ち、城が埋もれてしまっているのが残念です。
府内城復元CGというページを見つけました。在りし日の府内城が偲べます。

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伊勢松坂城
伊勢松坂城1
松坂城の見所の一つでもある石垣は、『野面積』という積み方です。この積み方は、近江国の『穴太衆』と呼ばれる集団によって築かれました。というのも松坂城の築城者蒲生氏郷公は近江国出身者だったので、秀吉公の天下統一の二年前でも、この集団を使って築くことが出来たのでしょう。
城内に当時の建築物はなく(本居宣長旧宅が移築されてますが…)石垣のみですが、(そういえば堀もないですネ。)『古きよき古城』って感じがします。
また、すぐ隣に現在も住居している御城番屋敷があり、当時を偲ぶことができます。

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伊賀上野城
伊賀上野城1
伊賀上野城の見所は、なんともいっても写真の高石垣です。来たるべき、豊臣との戦いを想定して、築城の名手、藤堂高虎公によって築かれました。
もともと伊賀上野城には、天守閣が築かれませんでした。慶長期に建築中、暴風雨で倒壊してしまい、その後は建築されませんでした。五層の天守だったとの事です。昭和初期に木造で三層天守が建築されましたが、天守がないところに築いたので模擬天守ということになります。しかしその天守も70年以上が経ち、新たなる歴史を感じ取ることができます。

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