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蟠龍戦記
自分の巡った城・城跡を紹介します。
常陸長峰城
常陸長峰城1
写真の石碑は、県道24号線沿い小貝川に掛かる長峰橋の東端北側に立ちます。 関の裏側に説明も書かれていました。

ご覧のように畑地になっていて遺構は見当たりませんでした。ただ、小貝川に近いので天然の堀としていたのかもしれません。

意外に交通量が多く、路上駐車するのも大変でした。気をつけてくださいね。
常陸手子生城
常陸手子生城1
手子生城と書いて『てごまるじょう」と読みます。つくば市手子生の畑の一角に写真の石碑があります。石碑の左手には、説明板があったような跡のみ残っています。石碑の右手には、やや窪みがあってそれが掘跡のように見えます。

手子生城は、小田氏治が居城の小田城を失墜している間、居城としていたこともありました。だからこれだけ立派な石碑や説明板置き場(?)あるのでしょうか。説明板の再設置を希望します。
天下人に学ぶ逆転勝利の戦略
天下人信長・秀吉・家康の合戦、特に負け戦についてメインに取り扱った書籍です。いわゆる自己啓発本で、歴史的事実を時代順に並べて、天下人はこう行動した、教訓にしましょう、見たいな感じで進みます。その歴史的事実については、特に目新しいものもなく、サクサクと進みます。

歴史好きの人が読むには、ちょっと物足らないように感じてしまいました。
常陸谷田部陣屋
常陸谷田部陣屋1
場所はつくば市立谷田部小学校になります。南側に説明板があり、さらにその南に移築された御殿玄関があります。

到着した時から大粒の雨。正直、少し待ったら小雨になると思っていたら、ありがたい事に雨がやみました。陣屋がそのまま小学校になったようですが、遺構は無く校内に写真の石碑があるのみでした。

説明板によると、谷田部藩の藩祖は細川幽斎の次男で忠興の弟にあたる細川興元です。知らなかっただけにちょっと驚きました。新たな発見があったお城巡りでした。
下総足高城
下総足高城1
場所は、つくばみらい市内にある城中八幡神社になります。入口前に土塁の一部が残ります。本殿に向けて東進すると、空堀らしき窪みがいくつかありました。ただ、お城に関する説明板や石碑はありませんでした。

見学中に突然大粒の雨(いわゆるゲリラ豪雨)が降り始めたので、早々に撤退しました。
下総高井城
下総高井城1
現在は、高井城址公園として整備されています。駐車場に車を停めて周囲を見渡すと普通の公園です。公園の案内板を見ると、城郭跡まではやや距離があるのでそこまで歩きます。すると、写真の説明板と虎口と土塁を見つけました。ここから城跡のようです。虎口を進むとそのまま主郭になります。周囲は土塁も見えかなりの広さがあります。主郭下に帯曲なのか段状になったものもありました。実は、案外遺構の残るお城でした。
家康謀殺
6つの短編集になります。時代も桶狭間合戦から大坂の陣までを取り扱っています。著者らしい、どんでん返しというか、「あっ」と驚くような展開が多いです。今回は、あまり聞きなれない雑説(情報)という言葉が多く出て来ました。1つのテーマなのかな。

短編集なのでサクサク読めますし、内容も面白いです。
下総野々井城
下総野々井城1
場所は、取手市内にある白山神社になります。周囲が土塁で囲まれておりお城っぽい雰囲気があります。神社の説明板があるのですが、そこにはお城のことは触れられていませんでした。遺構が残るだけに石碑や説明板もあると良いですけどね。
下総今城
下総今城1
守谷市のけやき団地にある児童公園に写真の説明板があります。児童公園内ということもあって遺構はほとんど無く、写真の左部分が高台になっており曲輪の一部になっています。

現地説明板によると、曲輪は3つほどあり、土塁や空堀で分けられていたようです。また、この城について記された史料は残されておらず不明なことが多く、今城という名も『今築かれた城』という意味だそうです。なんと単純な…。よって発掘調査報告書では、『高野城』の名が使われています、とありました。城の名前って難しいですね。
下総守谷城
下総守谷城1
現在は、守谷城址公園として整備されています。公園の南西に数台停められる駐車場があります。公園西は『冠水につき通行止』の案内が出ていました。仕方ないので公園南にまわると、いきなり写真の空堀が見れます。こちらから行くと、二の丸~本丸と見てまわれるので、結果こっちで良かったです。

空堀はもちろん土塁や木橋があったりと雰囲気があります。二の丸本丸の面積はかなり広いです。近代的な公園と勝手に思い込んでいましたが、遺構がよく残っていたので、なんか得した気分でした。